ある絵描き、午後のアリバイ

趣味:旅・ドライブ・映画・ビリヤード。 たまに思い出したように絵を描く。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

世界の隅っこに捧ぐ。

「どうして自分はものをつくるのだろう」。

ものをつくることが仕事になり、少し経つ。
何の見返りもなく、純粋な衝動のみに突き動かされて
ものをつくっていた日々を懐かしむ。

今まで生んできたもののかたちはさまざま。

地はどこを踏んでも未だ柔らかく、
空は手を伸ばす気も失せるほど高く、
夜は気が遠くなるほどに長そうで眠れない。

「どうして自分はものをつくるのだろう」。



空が白みはじめる頃にようやくふと光るものがあった。
「まず心が動く思いがしたい、感動したいんだ」。

同時に自分の作品を観る目の数々が浮かんだ。
「そして同じ感動を抱く人たちと思いを共有したい」。

はじめは純粋な、その衝動。



そのための言葉を、僕は絵や映像に求めてきた。
誰かはそれを音を奏でることに求めた。
そして小説や、映画や、料理に求める人がいる。

地に、空に、夜に住む人々に捧げるために。

そのために扱う道具は筆でもペンでもピアノでも
Photoshopでもフライパンでもなく、心。



バリのある村では、神が宿るとされる部屋の四隅へ
捧げものを置くという。

花を活ける者、歌を唄う者、絵を描く者。

自分が秀でている能力への感謝の念をもって、驕ることなく。
誰もが、自分が何を捧げられる人間なのかを考える。



それだけのことなのだろうな、と気持ちが少し軽くなる。
自分はまだ探し途中。そのうちきっと見つかる・・・はず。

誰しもが与えられた自分の授かりもの。
それぞれがそれを見つけ、世界の四隅に還元する。
なにも捧げられない人間なんていないのだ。

心を扱い、心が動き、心を動かす。
そんな創作をするひとになりたい、なんて最近ときどき思う。


  1. 2008/05/14(水) 18:49:57|
  2. アートの話|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

ノルシュテイン氏に会ってきました!

わたくしが敬愛してやまないアートアニメーション作家
ユーリ・ノルシュテイン氏がムサビで課外講演をする
という情報を入手、 先日行ってきました。

ものを知ること・表現することへのひたすら真摯で妥協のない姿勢。
ものを見る者つくる者として、
自分のあり方を否応なく問うてしまう、
でも確実に勇気づけられる、鼻血モノの講義。

282926134_98.jpg


サインを欲しい人なんて滅多にいないんですが、
彼には画集持ってってサインしてもらっちゃいました。
しかも自分の映像のDVDまで受け取ってもらえて。
いつか達成したかった夢がえらい早めに叶ったような。
でもまだ修行が足りなすぎると痛感しました。


以下、ノルシュテイン語録。

「ものを知っている人は自由です。
 なにかを見てその人がなにを受け取るかは、
 その人がなにを知っているかで決まるからです」

「アニメーションは何もないフレームを
 1コマずつ表現で埋めていく作業です。
 シナリオや言葉やイラストで準備をするのに
 長く時間をかけることは意味がありません。
 映像にしかできないこと、それのみが重要なのだから」

「映像の重要な要素に、“何かが起こるのを待つ(期待)”
 ということがあります。
 だから作家は待たせるためのモメントを作らなければならない」

「しかし見る人の要求に応える必要はない。
 見る人が結論を出せること、解読できることに意味はない。
 それでは芸術ではなく数学になってしまう。
 見る人の感情に影響を与え、
 見る人が考え始めることにこそ意味があるのです」
 
「映画言語が難解であると動員に悪い影響が出る、
 これは恐ろしいことです。
 “イメージによる思想”はとても重要なのです。
 啓蒙なしに芸術から何かを受け取れることはない。
 つまり自分がどれだけ明るく照らされているか。
 ・・・これはほんとうには死ぬ時に気づくのですが、
 その時では遅いのです」

「音も見ることができるし、風景も聴くことができる。
 音が先、映像が先ということはないのです。
 芭蕉がなぜ偉大な詩人であり得たか。
 全身が視覚で、全身が聴覚だったからです」

(質問:私たち若い世代の作家がやっておいたほうがよいと思われることは?)
「とにかくひたすら注意深くあること、観察することです。
 小さな小さな蟻が、どのように地面を這い、
 どう草の芽に登り、どう降りるか。
 それを見ることができ、語れることができるのなら
 他には何も要らない。
 そしてそれは一円のお金もかからないことなのです」


染みます・・・・。
 
 
  1. 2006/12/13(水) 22:39:04|
  2. アートの話|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

スケッチ。

秋はいいですね。
ひんやりした風のにおいを嗅ぐと、
なんか絵描きたくなります。

時々わぁ〜っとイメージが頭の中通り過ぎるので
飛びそうな帽子ひっつかむみたいに急いで描き取る。

スケッチブックを新調。
なんと今回の秋風はストーリー付で吹いてきたので。
全然まだ朧気だけど
もうちょいしっかり練り上げて
またやろう、 動く絵画。

言わないとまたサボるので表明してみたり。

仕事さえ余裕あれば、
ブログでこういうスケッチ連載とかもいいなぁ。

20060927151510.jpg
20060927151525.jpg

  1. 2006/09/28(木) 00:20:02|
  2. アートの話|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

言葉という名の絵具。

言葉は苦手だ。

色が虹のように無限のグラデーションを描くものだとすれば、
言葉というものは、どう混ぜ合わせても
色と色の間に隙間ができてしまう不便な絵具のように思う。

幾重にも重ね合わせた色、
考え抜いた上に作りあげた色、
なにか思い描いたものを表していないような気がするのだ。
きっと、絵具箱をひっくり返して全ての組合わせを試しても
作れない色がたくさんあるに違いない。

しかし時として、ふと手にとった二つのチューブで
思っていたよりずっとはっきりと
頭の中でイメージした色を具現化できることがある。
濁ることのない原色の強さをもって。

『わがままの温度』。

どんなに油絵具を重ねても表現できず僕を何日も苦しませた「何か」が、
ふと浮かんだ言葉を題名にした時、補われた。


もう数年前のこと。
言葉という絵具のチカラを知った日。
久しぶりに聴いたある人の声が、ふいに思い出させた。


・・・それはそうと6000アクセス突破!
感謝の至りですm(_ _;)m
  1. 2006/06/08(木) 01:00:26|
  2. アートの話|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

もぢりあ〜に。

長い沈黙を破って突然更新。お久しぶりです。

ゴールデンウィークは映画強化週間!と昨日なんとなく決定。
ってか仕事が忙しくて最近全然観てなかったら
禁断症状がでてきたんですね、ぷるぷるぴくぴくと。
んでとりあえず「モディリアーニ」とか借りて来て観ました。

画家ものの映画って事実の羅列に終わってて
ただの伝記になってるものが多い。「人間」が描けていない。
これもまぁ期待はしてなかったんですが・・・なかなかでした。

か〜なり偏見と脚色に彩られた脚本・人物設定じゃねぇか?とか、
なんかベタな表現やわざとらしい演出多くないか
って気がやたらしないでもないんですが、そんなこたどうでもいい。
描写が芸術家の魂にまで届いている。

そうだよね。絵描き(というか芸術家)って
本当はみんなしょ〜もない弱っちいダメ人間で、
でもやたら感情は純粋で正直で不器用で、
筆持ったときはじめて芯から解放されるんだ。

半端者絵描き見習いの私めも、にわかに血が沸き立った。
半端者見習いとはいえ、絵描きであることに誇りを持った。
ああ〜でもつくづく半端ものだわ〜とも思った。

侍は刀、料理人は包丁、バッターはバット、絵描きは筆。
持たなきゃ何も語れやしない(ん?消防士ならホースなのか・・・??)。

そういや最近やたら絵が描きたい。キャンバスも買い込んである。
ゴールデンウィークは絵画強化週間!と今日突然なんとなく変更。 おい。

しっかしみんな英語なのはど〜なのよ?
フランス人怒るで、ほんま。
  1. 2006/05/04(木) 04:58:27|
  2. 映画談義|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
次のページ

YUGOIST

12 | 2012/01 | 02
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search